重田 岳史(しげた たけし)といいます。20214月からこの教会の牧師をしています。趣味は電車に乗って温泉に行くことです。JR相模線の上溝駅をときどき利用しますが、茅ケ崎行きの電車(205500番台)に乗り、進行方向右手に見える丹沢の山並みを眺めるのが好きです。出身はその丹沢・大山のふもとの伊勢原市です。

牧師になる前は、東京都内(JR青梅線沿線)の神学校で4年間、聖書の勉強をしていました。さらにその前は、県内の自治体でケースワーカー(社会福祉の相談員)を13年間していました。

 

もともと牧師になるつもりはありませんでした。福祉をライフワークにするつもりでした。けれども、いろいろな相談に乗っているうちに、「福祉が出来ること・出来ないこと」を感じるようになりました。

福祉はとても大切な働きです。それで助けられる人・癒される人がたくさんいます。しかしながら、福祉は人間のたましいを救うことはできません。それで、クリスチャンであった私は、牧師を志すようになったのです。

残念なことに、人間には生まれながらの罪の性質があって、他人を傷つけたり、自分を縛りつけたりしながら生きています。いくら努力をして善行を積んでも、その性質をぬぐい去ることはできません。善行は大切ですが、それだけでは、たましいが救われている確信が得られないのです。

聖書には「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(マタイの福音書121節)と書いてあります。神の子イエス・キリストは、人間のすべての罪を神にゆるしていただくために、人間の身代わりになって、十字架の刑を受けられたのです。こうして人間のすべての罪は、神の前にすでにつぐなわれています。

このイエス・キリストを信じるならば、「信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただく」(ペテロの手紙第一15節)ことができます。人間のたましいは、イエス・キリストを信じる信仰によって、救われるのです。

 

ぜひ教会に来て、すべての人に開かれているこの「福音」を、さらにお聞きになってみてください。

    すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。

    私があなたがたを休ませてあげます。

 

                                                                                                             マタイの福音書11章28節


2010年10月より当教会で牧師として牧会をされていた野村正雄先生は、2021年4月より当教会の協力牧師として引き続き奉仕され、2023年3月末をもって退任されました。